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〈人生で本当に必要なもの #2〉過剰な情報はいらない

未来の国からパラダイムシフトの朝 #41
Words by Daisuke YOSUMI
Reading Time:11m50s
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生きるために必要なものとはなにか。
それは、最低限の「衣食住」のこと。

ぼくの人生経験から言い切れるのは、「雨露をしのげる家屋」「四季に対応する衣類」「健全な食糧」さえあれば、人は暮らすことができる。
この事実を多くの人が忘れてしまい、いらない余計なモノを買うため、どうでもいい何かを獲得するために、労働に無駄に命を捧げ、心身を壊しながら長時間働き続けている。

ぼくは、この「衣食住ミニマム感覚」を、ニュージーランド移住直後の半年間のキャンピングライフ、そしてここ湖畔での10年の森の生活で、身体感覚としてインストールすることができた。
そして、間違いなくこの学びは、学生時代のバンライフ(車中泊生活)と、衣食住を背負い山道を何日間も歩き続けるバックパッキング登山にもルーツがある。

ここから数回にわたって、ぼくが追求している〝真の豊かさのために必要なこと〟ついて書いてみたいと思う。
ただあくまで、ぼくの独断による偏よった考察となるので、その点のみご了承いただきたい。

「衣食住」の次に大切なのは、「情報」というのがぼくの考え。
ぼくらは365日、起きている間ずっと、ものすごい量の情報シャワーを浴びている。

あなた自身が、これらによって、どれほど大きな影響を受けてきたか考えたことはあるだろうか。
あらゆる経路から入ってくる無数の情報によって、ぼくらの思考、感情、価値観、進路が左右されてきたことに。

ぼくはどこにいても、地上波や衛星波などの「無料のテレビ」は基本的に観ない。

日本の場合、これらは国による免許制となっている上に、その成り立ちが広告ベースのため、国家や大企業の意向を受けやすい性質を持っている。だから、ぼくは昔からあまり信用してこなかった。
ある時期までは、上質なドキュメンタリーを製作するNHKを信頼していたが、昨今の報道の偏重からそれも言い切れなくなっていた。

テレビの次に大きなメディアは、新聞だろう。
ぼくは、新聞の信頼度も決して高くないと見ている。なぜなら各紙それぞれが信仰する偏ったイデオロギーに基づいて報道しているため、客観性に欠けているように感じるからだ。

そもそも、メジャーな全国紙の成り立ちも微妙である。権力へのチェック機能として発生し、成立してきた欧米の新聞と違い、日本の主要紙はその歴史において、政府寄りの報道をしてきた傾向があるからだ。

明治のある時期は検閲の許可を得ないと発行できず、大正時代には政府の言論弾圧によって各新聞社が政府批判をしなくなったり。
昭和に入ると、各紙が政府発表をそのまま報道したことで、国民を第二次大戦へ扇動したというのは有名な話。

では、ぼくが何から情報を得ているかというと、3割ほどの「インターネット」筆頭に、3割が「ドキュメンタリーと書籍」、3割が「人」、残り1割は「その他もろもろ」という感じだ。
言うまでもなく、まず地上波テレビ、衛星テレビ、新聞はゼロ。

では、ネットの信頼度が高いかというと、決してそんなことはない。

恐ろしいほど多くのデマやフェイクニュースが飛び交うし、年々ネット広告費は増え続け、遂に2019年には2兆円の大台を突破し、ずっと1位を独占してきたテレビを超えてしまった。
個人発信のプラットフォームとして普及してきたSNSも、Facebookを筆頭に、いまや広告まみれとなりつつある。

インターネットとは元々、「マスメディアや大企業ではなく、市民が主権を取り戻すため」という哲学で生まれたはず。だが、これまで世論や社会風潮をつくってきた地上波テレビ以上の広告費が、投下されるようになってしまったのである。

それでも、他のメディアに比べて選択肢が圧倒的に多く、「受け身」でしかないテレビや新聞と違って、自ら「能動的」に情報を取りにいける点において、ネットはやはり素晴らしい。

さらにネットには、国や大企業からの影響を受けずらい、独立系のニュース配信会社がいくつかある。
SNSだって、広告主やSNS運営側の意向で動くアルゴリズムによって管理された、タイムラインに脳をハッキングされないよう努めれば、まだまだ有益である。

そんなネットに向き合うポイントはシンプルだ。
強い意識を持って、ただひたすら「受け身」にならないよう努めること。

情報を得るウェブメディアは自分で決めて、できる限り絞ること。SNSは、自ら検索して信頼できるインフルエンサーの投稿だけをチェックする。
スマホで通知されたり、勝手に表示される出自不明なスマホニュースは完全に無視して、SNSを開いた瞬間に表示されるタイムラインも一切見ないこと。

受け身という無防備な状態でいったんネットの世界に入ってしまうと、あなたの時間は一瞬で奪い去られることになるからだ。

スマホを手に取った瞬間、その画面の中にスッと意識が吸い込まれて、次々と提示されるポップアップやリンクを無自覚にクリックし続ける。
脳疲労を感じてふと我に還ると、あっという間に1時間が消えていた…自分が何をしていたか記憶がない…という経験は誰もがあるだろう。


そして、その失った1時間は、あなたの貴重な時間がハッキングされただけでなく、知らないうちに、「不要な情報や思想」が脳の奥底にインストールされ、「あなたのものじゃない欲望」が無意識の領域に植え付けられてしまっているのだ。

テレビにもそういった「人から時間を奪い、脳をハッキングする機能」が備わっていたが、デバイスとしての大きさや電波領域の狭さから、ある程度場所を限定していた。
だが超小型のスマホは、バッグやポケット、手のひらと、常にあなたと一緒にいるため、「起きている間ずっとハッキングされている」と言っても過言ではない。

これは、大げさではなく「人生そのものがハッキングされている状態」と言っていいだろう。

今や、世論を創り出し、社会を動かすのはテレビではなくネットであり、爆発的に普及して2019年にはその数でPCを上回ってしまったスマホであるという意見に反論する人はいないはず。

英国の「EU離脱」という、予想を完全に覆した衝撃の国民投票の結果が、あるIT企業による、Facebookを使った違法の広告手法によって引き起こされたことをご存知だろうか。
そのIT企業は、英国で有罪判決が下り解体されたが、同社がトランプの大統領キャンペーンや、途上国の独裁政権の勝利にも深くコミットしていたことも続々と判明してきている。

つまり、あなたのイデオロギーだけでなく、国の行く末さえもコントロールされつつあるということだ。怖ろしいことである。
とはいえ、もはやネットなしの生活や仕事なんて考えられないというのが実情だろう。

もはや、ネットがまだなかった大学生のころが懐かしい。
例えば、卒論を書くために必要な「ある情報」を得るのに約1ヶ月かかったことがあった。数人の先生や先輩に相談をし、電車で複数の図書館と大型書店をハシゴして、やっと入手できたのだ。それが今では、Google検索窓にキーワードを入れると、1秒以内にリーチできる。今では当たり前のこの事実に、ぼくは未だに感動してしまう。

ネットが、圧倒的に便利であることには異論がない。

だが、ネットやスマホはあくまで道具だ。
そんな「単なるツール」に人生をハッキングされたり、思考や行動をコントロールされるほどバカげたことはないと、ぼくは声を大にして伝えたい。
「ただ、使えばいい」のだ。

ここで、悲観的な話を一つだけしておこう。

世界を見れば、一国の国家予算を超える莫大な広告費がネットに投下されていることもあり、人類のトップ数%の高いIQを持つエリートたちがネット界に集められ、裏側の仕組みを作り上げている。
シリコンバレーのある大企業の中枢にいた、ある人間がこう言ってたという「人間の脳をハッキングするなんて簡単だ」と。

ぼくらの想像を超えたビッグマネー、人間業とは思えない策謀が、わずか数インチの小さな画面の世界に投入されているのだ。
市民はもはや、巨大なネットの勢力には抵抗できないという意見もあるが、ぼくはそうは思っていない。

シンプルに言い放てば、ネットとスマホの「あり方と構造」を理解した上で、自分なりの「向き合い方」を決めてしまえばいいのだ。

ネットが登場する前の旧世界やインターネット黎明期においては、「いかに多くの情報にアクセスできるか」が重要とされていたが、成熟期となった今は違う。

爆発的に拡張し続ける〝情報ノイズの集中砲火〟と、計算し尽くされた〝悪魔的な脳ハッキング〟に巻き込まれてしまうと、ぼくらは「どうでもいいコト」や「まったくいらないモノ」に手を出してしまい、人間は「人生で大切なこと」を完全に見失ってしまう。

まず、日々の暮らしや仕事で、外部情報や他人の意見ではなく、あなただけの感性を研ぎ澄ませ、自分の身体感覚を信じて生きること。
世間の風潮や流行などではなく、自身の心が欲する情報だけをつかみ、他はすべて捨てる勇気を持つこと。

そして、スマホを開く前に、「何のために情報が必要なのか」という〝検索の目的〟と、「求める以外情報は見ない」という〝確固たる意志〟を持つこと。

つまり、「もっともっと」という尽きることのない欲望志向ではなく、「これさえあればいい」というミニマルな清貧思考をもって、今のネット世界と向き合うべしということだ。

この心得さえあれば、ネットというスーパーテクノロジーはモンスター化せず、ぼくらの可能性を無限大まで拡張してくれる。
それは、ぼくらを解放し、人生をより自由に、豊かにしてくれるのだ。

だから、ぼくは世捨て人にはならず、ネットを活用して働き、暮らす。

テレビや新聞とは違い、どこからもアクセス可能で、場所の制約を受けないという特性は、ぼくの暮らし方と働き方にマッチしているといえよう。

このテクノロジーのおかげで、街から20kmも離れた原生林に囲まれた湖畔で森の生活でも、世界中で数ヶ月間の移動生活を送っていても、ネットに接続できることで、東京の真ん中で働いていた頃との〝情報格差〟は限りなくゼロに近づいた。

この、ニュージーランドでの森の生活を夢見た学生だったあのころ、まさか大自然の中でこんな〝豊かな〟生活ができるとは想像もしなかった。その事実に、今でも毎日、感動を覚える。

(次号へ続く)

▽四角大輔ポッドキャスト〈noiseless world〉
・vol.1 「ノイズレス」とは
世に溢れる「ノイズ」をどう回避しながら生きるべきか。ノイズフルなレコード会社時代から、今のノイズレスな森の生活までを振り返りながら、現在のコロナ禍における「情報ノイズ」との向き合い方について語ります。
・vol.3 視覚から聴覚のシフト
    心をととのえ、静寂なひとときを取り戻すために。「視る」から「聴く」メディアへの移行と、誰でもできるメディテーションをすすめるわけとは。

▽シリーズ〈人生で本当に必要なもの〉
最低限の衣食住があればいい
②情報はどこまで必要なのか

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四角大輔|Daisuke YOSUMI

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