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お金から自由になるということ・後編

未来の国からパラダイムシフトの朝 #20
Words by Daisuke YOSUMI
Reading Time:8m30s
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「本当の自由ってなんですか?」

自由をテーマとした著書『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』を出して以来、大学講義やビジネスパーソン向けのトークライブ、ぼくが学長を務めるオンライサロン〈LifestyleDesign.Camp〉で必ずこの質問を受ける。

迷わずぼくは、こう答える。
「①自分らしく生きること」「②お金から自由になること」。

シンプルにこの2つだと。

①は説明不要だろう。

世間の評価や同調圧力、もう機能していない社会常識や、植え付けられた思い込みといった、よくわからない「誰か」がつくった他人規準を捨てること。

そして、自分の内側から湧いてくる「心の声=自分だけの価値規準」に従って生きること。それこそが、自分らしく生きることである。

え?日本社会では、それは簡単じゃないって?

でも②は、もっともっと難しいはずだ。

逆にぼくはその質問者に、「お金から自由になるためにはどうしたらいい?」という質問を投げかける。すると、多くの人が「大金を稼ぐこと」と答える。

それに対して、「いくら稼げば自由になれると思う?」とさらに聞き返すと、誰も答えられなくなるのだ。

過去に、音楽業界という大金が飛び交うショービジネスの最前線で、15年間も働いたことがある。

ぼくはレコード会社の社員だったので、どんなに頑張っても昇給には限界があったが、音楽アーティストや 、フリーランスの外部プロデューサーなど、ぼくの周りには年に「億」を稼ぐ者が何人もいた。

また、ベンチャー企業を上場させ、数十億単位のお金を手にしたIT長者もいた。

そんな彼ら全員が自由を手にできたかどうか。

答えは否だ。

たとえどんなに大金を得ても、「①自分らしい生き方」を追求できていない人は、まったく自由にはなれない。

むしろ財産を守るための余計な制約が増え、本来はまったく不要な勝ち組思考や見栄が増幅し、それらを守るために振り回されて、蟻地獄のような〝不自由スパイラル〟に堕ちていく。

ここニュージーランドには、多様性を認める寛容な人がたくさんいる。自由度の高い社会があるためか、みんな周りの目なんてまったく気にせず、それぞれがオリジナルな生き方をデザインしている。

ニュージーランドという比較対象を得て気付いたのは、①という自分軸を持てない人が日本にはあまりにも多いという悲しい現実。

もちろん、お金はないよりもあった方がいい。ある程度のお金によって得られる自由は確かにある。でも、ある一定を超えたあと、それ以上のお金はいらないはずだ。

ぼく自身、数々のヒットという幸運に恵まれ、レコード会社を辞める最後の5年間は、平均的な会社員よりもかなり高い年収をもらっていたと思う。

ぼくの場合は、もともと物欲もブランド欲も、所有欲も守るべきプライドもなかったので、得たお金を、どうでもいいただ見栄えがいいコトやモノに一切使わなかった。

「人生をかけてやり遂げたいこと」「心の底から好きだと言い切れること」に投資したのである。

当時のぼくにとってそれは、「ニュージーランド」「登山」「フライフィッシング」だった。

いくら年収が上がっても生活レベルは一切上げず、暮らしぶりは新入社員時代と同じのままだったけれど、自分にとって本当に大切なことにお金を使うことで、貧乏だった20代の頃より、間違いなく〝心の自由〟を手に入れていた。

しかし、もう一度ここで自問自答してみて欲しい。

自由になるためにあなたはいくら必要?
1千万?1億円?10億円?

この足し算思考は、人を〝無限の欲望地獄〟に引きずり込んでしまう。

ぼくが推奨するのは引き算思考。つまりダウンシフト。

まず、「自分ひとりもしくは家族が、健康的に生きるために必要な最低限の衣食住コスト」を完璧に把握すること。

家計簿を徹底的につけてこの計算を行うと「こんな低コストで大丈夫なんだ」という事実に誰もが驚く。ぼくがずっと提唱し続けている「ミニマム・ライフコスト」という考え方である。

しかし、この思考法を何度伝えても、著書で何度書いても、残念なことにほとんどの人はこの行為をバカにして実行しない。

次に必要なのは、そのコストをギリギリまで下げるための戦略を立てること。

まず「衣」に関して。

いまの日本には、服は異常なほど余っている。例えば、古着を探せば良デザインのTシャツが数百円で買える。いいデニムだって千円ほどで手に入る。

次は「住」。

日本で住コストが高いのは大都市のみ。地方に移住してしまえば、住居費は世界的にみてもかなり低くなる。実は日本では地方の方が豊かなのだ。

わかっているのに、なぜか日本人の多くが都市空間での暮らしに無駄にこだわり、疲弊し、心や体、または家庭を壊している。プライベートどころか、人生さえもダメにしてしまっている。

ちなみにぼくのニュージーランドの家は、大都市ではなく誰も来ない山奥である。

最難関が「食」だ。

ここで、ぼくが本気で提案したいのは「自給」。

ある意味、極端な戦略だし、決して簡単ではない。「あり、かもしれない」と、この選択肢を、あなたの思考に入れて、今後の人生プランに加えてもらうだけでいい。

〈幼少から続けてきた釣りが、我が生活と人生を支えることになるとは〉

ニュージーランドの湖畔の森で、お金をあまり必要としない自給自足ライフを送ることで、生まれて初めて、ぼくは本当の自由を手に入れることができた。ここにずっといれば、夫婦ふたりで、月に10万円あれば余裕で暮らしていける。

こうやって極限までに「ミニマム・ライフコスト」を下げることで、ぼくは真のインディペンデントな生き方を手にでき、より自分らしくなり、その結果、さらにクリエイティブになれた。その結果、いつも間にか収入も上がっていたのである。

自身のミニマム・ライフコストを把握できれば、「ベーシックインカム」がどれくらいあれば大丈夫かわかるようになる。

ぼくの考え方はシンプル。

そのミニマム・ライフコストを、ベーシックインカムで賄えるようになった段階で「お金のためだけに働くことをやめる」のだ。

つまり、あとは「好きなことを極める」「やりたいことに時間を費やす」「大切な人ともっと長い時間を過ごす」という方向にシフトするのである。

そうやって数年経つと不思議なことが起きる。

肉体もメンタルも健康になって、脳のパフォーマンスが驚くほど高まり、まったくお金になることを考えてなかった「好き」や「やりたいこと」が、どんどんマネタイズされていくのだ。

ぼくらは、そんな時代にいるということである。

なのに多くの日本人が、自身のミニマム・ライフコストを把握せずに、「もっと、もっと稼がないと」と、不必要なお金を手に入れるために〝時間という命〟を削って、長時間働き続けで疲弊している。

ある一定のお金とモノを得たあとは、どんなに多く稼いでも、買い物をしても、決して幸福度は上がらないのに。それを、数え切れないくらい多くの学者が証明し続けてるのに。

 

最後に。
ぼくはこの感覚を、最近になってやっと言語化できるようになってきた。そして、ニュージーランドの森の生活10年目にあたる今年、令和となった今、ある大きな決断をした。

近々、このことをまとめて記事にしてみたいと思う。

ひとりでも多くの人に、他人の人生でなく自分の人生を歩んでほしい。
他者基準の幸福ではなく、本当の幸せを手にしていただきたいと願い、この原稿を締めくくりたい。

〈All of photos with no credit: Daisuke YOSUMI〉

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